グランディングパートナーズ|Grounding Partners

中小企業診断士DHが運営するブログです。「仕事」と「幸福」を主軸に、どうすれば経営者と従業員の方が幸せに、かつ生産性を高めて働くことができるかについて、その知識や知見を数々の文献を参照しながらご紹介していきます。

失敗から立ち直る方法 罪悪感を減らし自信を取り戻すためのエクササイズ

皆さんは、仕事や私生活などで失敗してしまったことはありますか?

おそらくこのブログをお読みのほとんどの方は、大なり小なり失敗を経験され、気分の落ち込みのような、ネガティブな感情を経験されたことがあるかと思います。

失敗によっては、すぐに立ち直ることができるものもあれば、何日も罪悪感に苛まれて立ち直ることができないものもあります。

また、落ち込みの感度も人それぞれで、同じ失敗でもすぐに立ち直ることができる人もいれば、なかなか立ち直ることができない人もいるでしょう。

かくいう私も、些細な失敗でもすぐに落ち込んでしまい、何日も悩み続けるタイプの人間です。

ここでもし、私が本当に合理的な人間であったならば、失敗したからといって「自分はダメな人間なんだ」と落ち込んだり罪悪感を抱くのは時間の無駄であり、失敗の事実から学びを得ることで、同じ失敗を繰り返さないように努力するのが正しいと考えることでしょう。

もちろん、その失敗による影響範囲が極めて大きいといった場合は、関係者に事実を説明し誠意を持って謝罪するといった対応は必要だと思います。ここで言いたいのは、「失敗の事実」と自分が「どういった人間であるか」は切り離して考えるべきだということです。

ですが、私たちは感情によって生かされている部分が非常に大きいため、上記のように合理的に考えることが難しく、簡単に失敗の事実と自身の人間性を混同し「自分はダメな人間なんだ」と罪悪感を頂いてしまうのです。そのため、自分自身をケアすることによって立ち直りを支援していく必要があります。

 

今回は、失敗による罪悪感を減らし、立ち直りを支援するための簡単なワークをご紹介したいと思います。

参考文献は『自信を育てる心理学 「自己評価」入門』です。

 

自信を育てる心理学 「自己評価」入門
 
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権威と服従の関係 善良な人が悪事に手を染めるメカニズム

今回は権威と服従というテーマでお送りします。

なんだか物々しいテーマのように感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は私たちの社会生活において、この権威と服従の関係は至る所に見受けられます。

一例として、企業における上司と部下の関係は、まさに上記の関係を体現しているものといえるでしょう。ただ、注意していただきたい点として、通常どおり業務を遂行する場合においては、権威と服従の関係はあまり気になりません。上司の肩書きという権威によって、企業というひとつの社会集団の統制が取れるわけですから、むしろ好都合というわけです。もし、権威と服従の関係が成立しないとしたら、部下は上司の言うことを聞かず、身勝手な行動を取り続けてしまい、結果として社会集団の崩壊を招いてしまうでしょう。

権威と服従の関係のネガティブな側面は、権威者が悪意を持っているケースにおいて顕著にあらわれます。ニュース等で見られる企業の組織的な不正を見てみると、たいていの場合は上司(または上司の上司)からの指示によって、部下が不正行為に手を染めてしまった、というケースが多いように思います。

企業にお勤めの方であれば、ほぼ全ての人が学校等で「不正はいけないことだ」という教育を受けてきたはずです。よって、部下の立場の人に「社会正義を侵害してやろう」という積極的な害意があったかというと、(一部はそうかもしれないですが)必ずしもそのような意図を持っていたとはいえず、むしろ「本当はこんなことはやりたくなかった」と自身の内面の葛藤を述べることが多いと思われます。

 

上記のような、権威と服従の関係が悲惨な結果を招くケースは、心理学の研究おいても実証されています。

今回は、具体的な研究の内容から権威と服従の強力な関係性について説明し、私たちが実社会において、どのように権威と服従の関係と向き合うべきかを考察したいと思います。

 

参考文献は『服従の心理』です。

服従の心理 (河出文庫)

服従の心理 (河出文庫)

 

 

この実験では、「実験者」である教授(権威)が、記憶と学習に関する科学研究という目的で被験者を募集し、2人1組のセットにします。1人を「先生」役に指名し、残り1人が「学習者」役になります。

 (中略)二人の人物が、記憶と学習に関する研究に参加すべく、心理学の研究室にやってくる。一人が「先生」役に指名され、一人が「学習者」役となる。実験者は、この研究は罰が学習に与える影響を調べるものだと説明する。学習者は一室に通されて、椅子にすわらされ、両腕は動きすぎないように縛りつけられ、手首に電極がつながれる。そして、対になった単語の一覧を覚えるよう言われる。まちがえたら電撃が与えられ、それがだんだん強くなる。

 実はこの実験の本当の関心対象は、先生役のほうだ。学習者が縛りつけられるのを見たあとで、先生役は主実験室につれていかれ、大げさな電撃発生器の前にすわらされる。大きな特徴は、水平に並んだ三十個のスイッチで、一五ボルトから四五〇ボルトまで、一五ボルトきざみになっている。またその強度はことばでも「軽い電撃」から「危険:過激な電撃」まで書かれている。先生役は、別室の人物に学習試験を施すように言われる。学習者が正解を言えば、次の項目に移る。まちがった答えを言ったら、先生役は電撃を与えるよう指示される。いちばん低い電撃レベル(一五ボルト)から始めて、まちがえるたびにそのレベルを上げ、二回目は三〇ボルト、その次は四五ボルト、と増やすように言われる。

 この「先生」役は本当に何も知らない被験者で、実験に参加するために研究室にきただけだ。一方、学習者のほうは役者で、実は電撃ショックなどまったく受けていない。この実験のポイントは、具体的で計量可能な状況において、抗議する被害者に対してどんどん強い苦痛を与えるように命じられたとき、その人がどこまでやるかということだ。どの時点で被験者は実験者の指示に逆らうだろうか。

ここでは、電撃の強度によって学習者(被害者)のリアクションが変化し、徐々に実験の中止を訴えるようになります。

七五ボルトでうめく。似たような反応が九〇ボルトや一〇五ボルトの電撃でも見られ、一二〇ボルトで被害者は実験車に、電撃が苦痛になってきたと叫ぶ。苦痛のうめきが一三五ボルトで聞かれ、一五〇ボルトで被害者は「実験の先生、出してくれ! もうこの実験には参加しない。これ以上は続けないぞ!」と叫ぶ。この種の叫びがだんだん強度を増して続き、一八〇ボルトでは「痛くて死にそうだ」となり、二七〇ボルトだと電撃への反応は、まちがいなく苦悶の絶叫となる。一五〇ボルトから一貫して、かれは実験から出してくれと訴え続ける三〇〇ボルトでは、もう記憶テストに答えないぞと絶叫的に叫ぶ

 (中略)三一五ボルトで激しい絶叫の後、被害者はもう自分は実験への参加はやめたと、再び断言する。そして回答をしないが、電撃を加えるたびに、苦悶の悲鳴を上げる。三三〇ボルトを超えると、もはや何の声も聞こえず、四択信号に回答が表示されることもない。

実験前の段階では、おおよそ150ボルト程度で「先生」役の人が実験を中断させるものだと

予想されていました。

しかし、実験を開始してみると、なんと40名の被験者のうち26名(65%)が最大電圧の450ボルトまで被害者に対して電撃を浴びせ続けたのです。被害者の阿鼻叫喚を目にしているにも関わらずです。なぜでしょう? 被験者が元々サディスティックな性格の持ち主で、電撃を与えることを楽しんでいたからでしょうか? ですが,募集媒体等には「電撃」に関するキーワードは登場していませんし、年齢や職業等によって様々な属性の被験者を募集していました。よって、被験者全員がサディスティックな性格の持ち主であるからだと考えるのは難しいでしょう。実態はもっと複雑です。

実はほとんどの被験者は、被害者が叫び始めたタイミングで、実験者(教授・権威)に対して実験中止を求めていました。しかし、実験者が被験者の要求を無視し、淡々と実験を継続するように指示したのです。被験者は、実験者の指示に逆らうことができずに、内面に葛藤を抱えたまま電撃を与え続けていた、ということになります。

 

この実験からどのような教訓が得られるでしょう?

ひとつ考えられるのは、人々は権威を前にすると、状況によっては自分が思っていることと反する行動をとってしまいがちになる(自分が正しいと思っている行動を貫けなくなる)、ということでしょう。上記の実験は、冒頭でご紹介した企業における組織的な不正の話ともリンクしてくるのではないかと思います。

 

権威と服従の関係は、社会に生きる人間にとって宿命ともいえる構造なのかもしれません。では,もし権威が暴走し組織が悪い方向に進みそうな場合はどうすれば良いでしょう? これについて完璧なソリューションを提供することは非常に難しいですが、一案として「別の権威を頼る」のが有効ではないかと思います。医療サービスに例えると、別の医師からセカンドオピニオンをとるイメージです。

実社会においても、監査等の外部組織によるモニタリングによって不正を回避する企業も増えてきています。プライベートにおいても、社外で信頼できる「権威」をいくつかホールドしておくことで、ひとつの権威への依存状態を減らすことができるため、結果として、不正に手を染めるリスクを軽減できるのではないかと考えられるのではないでしょうか。

 

 

[参考文献]

スタンレー・ミルグラム 著,山形浩生 訳『服従の心理』

脳を破壊するヤバイ食品&脳機能を高めるグッド食品

今日は食事についてお話ししたいと思います。

ここのところ急激に気温が下がってきて、体調を崩された方もいらっしゃるのではないでしょうか。体調が優れないときは滋養のある食事をとるなど、体にとりいれるものについても気を遣っていきたいところです。

実は、食事は体調の他にも、集中力といった脳の機能にも大きな影響を及ぼしています。仕事のパフォーマンス向上という観点では、食事内容の見直しも重要なテーマになるかと思います。

今回は、みなさんが日々無意識のうちに食べてしまっている脳の機能を低下させてしまうヤバイ食品をご紹介しつつ、逆にみなさんに積極的にとりいれていただきたい脳の機能を高めるグッド食品についてお話ししたいと思います。

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「多くの人が言っていることが正しい」とは限らない

いきなり質問で恐縮ですが、皆さんは何かの判断を行う場合にどのような情報を集めますか?

個人のレベルであれば、進学先や就職先の検討、人生の伴侶を選ぶといったライフイベントに関するものをイメージしてみましょう。企業のレベルですと、事業方針の決定や採用候補者の選定といった、経営に関する意思決定が当てはまるでしょう。

判断の内容によって集める情報はいろいろあると思いますが、概ね共通しているのは「他者の意見」だと思います。

概ね「他者の意見」は物事の判断を行う上で有益に作用することが多いように思いますが、これがなかなかクセモノで、「他者の意見」に依存しすぎることでかえって判断を誤ってしまうといったケースもいくつか見受けられます。

代表的なものでいうと「多くの他者が言っている意見は正しい」という誤解によって生じるエラーです。数百年前まで誰もが地球は平面だと思っていたのですが、そんなことはないですよね。

今回は、このような多数派の意見に従うことで判断を誤ってしまう事例を紹介するとともに、このような判断ミスをどのようにすれば防げるのかを考察したいと思います。

 

参考文献は『事実はなぜ人の意見を変えられないのか−説得力と影響力の科学』です。

 

口コミを鵜呑みにすべからず

ところで、企業の皆さんは商品の仕入などの業者選定をどのように行っていらっしゃいますでしょうか。

元々取引のあるところからの紹介といったケースもあるかもしれませんが、そういったつながりが全くない状態で業者選定を行わなければならない場合、おそらく口コミサイトなどの評判を頼りにするのではないかと思います。

 

皆さんは口コミに頼って業者選定を行った結果、こういった経験をされたことはないでしょうか。口コミでは良い評価がついていたが「実際に取引をしてみるとそこまで良い商品ではなかった」であるとか「サービスが思っていたものとは違っていた」という具合です。

 

実はこの口コミの評価にカラクリがあり、研究によると次のとおり説明されます。

ニューヨーク大学で博士号を取得し、現在フェイスブック社に勤務しているショーン・タイラーは、既存の評価や口コミがその後の評価にどう影響するかという研究をしている。調査によってわかったのは、コメントを操作して最初に高評価のレビューを掲載すると、それに続く好意的なレビューの数は通常より三二%多くなり、実験終了時の総合評価はなんと二五%も上昇した!

つまり、最初の口コミの評価が高ければ、その後に続く口コミの評価も高くなる傾向になるということです。逆も然りで、最初の評価が低ければ、その後の評価も低くなると考察できます。

ということは、本当は良い業者にも関わらず、たまたま最初の口コミの評価が低かったがために、全体の評価が下がっているというケースもあるかもしれません。

口コミサイトの評価を見る場合は、総合評価だけではなく、個々のコメントの内容を読み、その業者のどこが良くてどこが悪いのかを見極めていくことが重要となるでしょう。

 

真実が集団の力によってねじ伏せられる

今度は企業内部の意思決定について考えてみましょう。

よく会議などであるかもしれませんが、一人の社員が発した意見に対して他の社員が同調した場合、同調の意思表示をする前に比べて、反対意見の出やすさに差があるように思いませんか? 特に同調したのが社内で権限のある人であった場合、より反対意見が出にくくなるのではないでしょうか(会議が終わったあとで「実は私は反対だったが、あの場では言いにくかった」と愚痴をこぼす社員がいても不思議ではありません)。

このように、自分と異なる意見が多数派である場合、その人は自分の意見を言いにくくなるということが研究によると明らかになっています。

実験では、参加者があるドキュメンタリー映画を鑑賞します。映画のなかで女性が警察に逮捕されるシーンがあるのですが、参加者はそのシーンで女性が着用していた服の色を答えます。

参加者は5人で、うち4人は研究者側のアシスタントです。とりあえず、純粋な参加者をAとして、アシスタント4人をB〜Eとしましょう。

映画のなかで女性が着用していた服の色は赤で、Aも赤だと思っていました。ところが、B〜Eの全員が白と答えました。Aは多くの他者の意見に従うでしょうか、それとも自分の答えに自信を持って赤と答えるでしょうか。

実験に参加した人々は七〇%の割合で、ほかの参加者による誤回答に従った。自分は正しいと思っていたにも関わらず、その自信は集団の力によって打ち砕かれたのだ。 

いかがでしょう。これは海外の研究ですが、より集団志向の強い日本であれば、より他の誤回答に従う可能性が高くなるかもしれません。

 

もし、企業において重要な意思決定を行おうとしている場合、反対意見が出ることなく順調に進んでしまうことは、ある意味危険な現象だと思います。本当は赤なのに白だと勘違いして突き進む可能性があるからです。

 

反対意見がなく、議論が順調に進むことは人間にとってとても心地よいものだと思いますが、順調なときこそあえて立ち止まって「何か見落としていることはないだろうか」と疑問を投げかけたり、「反対の立場が正しいと仮定して議論してみよう」と無理にでも反対意見を絞り出す工夫が必要になるのではないでしょうか。

 

[参考文献]

ターリ・シャーロット 著,上原直子 訳『事実はなぜ人の意見を変えられないのか 説得力と影響力の科学』

弱みを隠すのは無駄? 成長を重視する組織が大切にしていること

皆さんは日々仕事に取り組まれるにあたっては、ご自身の弱みについてどう思われますか。

弱みの例としては、一人で業務を素早く処理するのは得意だけど周囲と協力するのが苦手だ、であるとか、周囲に合わせるのが得意だけど自分の意見をはっきり述べることができない、このようなイメージです。

読者の方で、すでにご自身の弱みの改善に取り組んでいらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、なるべくであれば部下や同僚に弱みをオープンにしたくない、というのが普通だと思います。

ですが、よく考えてみれば弱みを隠すという行動はとてもエネルギーを使いますよね。このエネルギーを本来のやるべき仕事に回すことができれば、より生産性を高められるのではないでしょうか。

 

今回は、弱みをあえてオープンにすることで企業と従業員相互の成長を促す「発達指向型組織(DDO=Deliberately Developmental Organization)」について解説していきたいと思います。

参考文献は『なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか すべての人が自己変革に取り組む「発達指向型組織」をつくる』です。

 

では、なぜ弱みをオープンにする必要があるのでしょうか。理由は、弱みが人間にとって成長のチャンスであると捉え、相互に弱みを認識しフィードバックを与え合うことによって、人が成長し企業が発展すると考えるからです。

全従業員が自分の弱みを認識しそれを改善しようと努力を重ねること、またその取り組みをサポートする環境や体制が整っていること、これがDDOの基本コンセプトです。

 

コンセプトの要素を分解すると以下の3つに分類できます。

  • エッジ(発達への強い欲求)
  • グルーヴ(発達を実現するための慣行)
  • ホーム(発達を後押しするコミュニティ)

エッジとは直訳すると限界です。つまり、自分の弱みや能力の限界を知ることを可能にし、それと向き合うことに価値を見出せるように促す企業文化のことです。

企業文化を定着させるためには、日々の具体的な取り組みが必要です。これをグルーヴといい、週1回などの頻度で定期的にフィードバックを与え合うような場もこれに含まれます。

自分の弱みや限界と向き合い、相互にフィードバックを与え合うにあたっては、指摘する側もされる側も心理的に安全であることが必要です。よって、役職や肩書きに囚われずに、誰もが遠慮せずに発言できる場づくりが重要となります。これがホームの概念です。

 

DDOであるには、上記の3つの要素すべてを満たす必要があります。

ホームの要素がない職場は、互いに揚げ足取りをするような、とてつもなく劣悪な職場環境となるでしょう。

グルーヴがなければ、外部からコンサルタントを招いて研修を行っても、企業に定着せず単発で終わってしまいます。

エッジがなければ、福利厚生制度などで成長の機会を提供しても、一部の優秀な社員のみが利用するだけで企業全体のパフォーマンスの底上げにはつながりません。

 

いずれの要素についても、すでに部分的に実践されている企業の方もたくさんいらっしゃるのではないかと思います。

コンセプトの核となるのは、組織の目標(売上や利益など)が個人の能力の発達と一体になっていることです。

このことをリーダーの方が認識いただくだけで、DDOになるための距離がグッと短くなります。

 

書籍で紹介されているDDOの事例は3社で、業種や規模も全く異なっていますが、各社がそれぞれの形でDDOになるための取り組みを行ったことで、生産性向上や離職率を改善できたことが述べられています。

DDOになったらどんないいことがあるのか、DDOになるには具体的にどのようなことをすれば良いのか、これらの点について、もしご興味があれば書籍のほうもチェックいただくと良いのではないかと思います。

 

参考までに、従業員個人の方の限界や弱みの向き合い方、またその克服方法につきまして、以前ご紹介した「変革」に関する記事をリンクで掲載しておきます。

リーダーの方向けに書いておりますが、自己変革という点ではすべての方に使えるメソッドだと思います。

blog.groundingpartners.com

 

[参考文献]

ロバート・キーガン,リサ・ラスコウ・レイヒー 著,池村千秋 訳,中土井僚 監訳『なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか すべての人が自己変革に取り組む「発達指向型組織」をつくる』

成果を上げられるチームはリーダーがアレをしている

今回はチームワークについてお話ししたいと思います。

個人的に仕事は一人で全て完結できればとてもやりやすいとは思うものの、現実ではなかなか一人で完結できる仕事は少なく、必ずといっていいほど他の誰かと協力して仕事を進めることになりますよね。

会社という大きな組織になってくると、上記の協力関係はより形式化していきます。仕事の種類ごとにチームが組成され、それぞれのチームでリーダーをアサインし、組織として成果を上げていくことになります。

では、チームにおけるリーダーの役割とはなんでしょうか? 部下の誰よりも仕事ができることでしょうか? 部下に対して常に適切な指示を与えることでしょうか?

 

世の中には、リーダーの役割について実に多様な見解が存在するため、何が正しいか正しくないかについては、それぞれのチームの状況に合わせてご判断いただくのが良いと思いますが、個人的な見解としましては、リーダーの役割は、部下との間に相互の支援関係を構築することだと考えています。

 

今回は、上記のリーダーの役割について具体的に解説するとともに、このリーダーの役割がチームワークにどのように影響するかについて述べたいと思います。

参考文献は『人を助けるとはどういうことか ー 本当の「協力関係」をつくる7つの原則』です。

 

まずは、成果を上げるチームとそうではないチームの違いについて事例をご紹介します。

 新しい低襲性の心臓外科手術[低襲性の手術とは、内視鏡手術や血管内手術を代表とする、従来予知も侵襲(体に対する負担)の少ない手術のこと]を行う外科チームでは、外科医も麻酔医も、他のメンバーも絶えず互いにコミュニケーションをとって、それぞれ信頼することが必要である。

 エイミー・エドモンドソンはそうした外科チームを一六チーム研究し、七チームは成果を上げ、その手術方法をとり続けているが、あとの九チームは安心感を育てられずに、その手術方法を断念したことを発見した。違いはどこにあったのだろうか。成功したチームは、支援が必要であると初めから認識し、チームの他のメンバーと合同トレーニングを行うことに同意した外科医たちによって始められたものだった。このため、チームのメンバーは自分の役割を最後まで果たし、公平な人間関係を育てることができた

外科手術において、外科医はチームのリーダーです。その外科医が互いの支援が必要であることを認識し、相互の支援関係を育てることで成果を上げることができました。

一方、成果を上げられなかったチームはどうでしょう?

 成功しなかったチームは、自分を主役と見なす外科医たちによって始められたものだった。そうした外科医はチームのほかのメンバーを、単に仕事をする「スキルを備えた補助スタッフ」として扱った

つまり、成果を上げられなかったチームは、お互いの信頼関係を築き、支援関係を作り上げる工程を無視し、互いの専門スキルにだけ頼ってしまったため、結果として失敗してしまったのです。

 

この事例からどのような教訓が得られるでしょうか。

昨今は、コロナの影響で社員同士が直接顔を合わせる機会が減っているため、社員同士の交流が減少し、信頼関係を築くのがより難しくなっていると思います。

特に、中途社員として新たに採用された場合は即戦力として期待されることが多いと思いますが、このような状況において、新しく入社した社員に対して専門スキルにだけ頼って仕事をさせるのは非常に危険な行為であるといえます。

チームのリーダーは、メンバー同士の交流を促すことで、相互に信頼関係を築き、相互支援の関係を作り上げることが重要となるでしょう。

チームのメンバーは、自分の役割を認識し、自分のことを「取り替え可能な資源としてではなく、貢献している欠かせない人間」として扱われることで力を発揮します

 

是非、リーダーの方は、

  • 部下に支援を提供すること
  • 部下から支援を受けること
  • 部下同士の支援を促すこと

これらを念頭に置いていただき、チームビルディングに役立てていただければと思います。

 

[参考文献]

エドガー・H・シャイン 著,金井真弓 訳,金井壽宏 監訳『人を助けるとはどういうことか ー 本当の「協力関係」をつくる7つの原則』

 

 

 

不確実な状況を生きる上で大切にしたいこと

最近VUCAという言葉が流行っていますね。

  • Volatility=変動
  • Uncertainty=不確実
  • Complexity=複雑
  • Ambiguity=曖昧

この頭文字をとった造語らしいですが、確かに企業のビジネスモデルや私たちのライフスタイルは多様化してきており、いよいよこの先何が起こるのか誰にも予測できなくなっている、そんな時代に私たちは生きているということなのでしょう。

このように不確実性が高まっている状況においては、私たちはつい何が正解かを追い求めて、経済の専門家が「この先の日本経済はこうなる!」と言っていることを闇雲に信じてみたり、周りの身近な人の行動を真似したりすることで、安心材料を探してしまいがちになるのではないかと思います。

不確実性が高い状況は、私たちにかなりのストレスをもたらしますが、このような状況であるからこそ、周りの正解(らしきもの)に流されることなく、自分だけの答えを持つことが必要であるように感じます。

 

今回は、心理学のトピックから少し離れて、次にご紹介する書籍から私が気づいた点をお話ししたいと思います。

文献は『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』です。

 

早速ですが、次のリンク先の絵画を見てみてください(書籍でも紹介されている作品です)。そして、簡単な感想をノートか何かに書き出してみてください。直感で構いません。

www.moma.org

 

いかがでしたでしょう。私の初見の感想は、

鳥の糞を敷き詰めたみたいだな

でした。超失礼ですね。

 

実はこの絵画、世の中では20世紀を代表するアートとして知られています。

この絵画がなぜ20世紀を代表するアートたらしめているのか、作者が何を意図して描いたのか、などについては書籍をご参照いただければと思いますが、おおよそこの作品からわかることは、「この絵が何を表現しているのかがわからない」ということだと思います。

 

では、皆さんにご質問です。

絵とは、表現しているものが何であるかが明確にわかることが必要だ」と思いますか?

この問いのなかにこの作品の狙いがあるように思います。

つまり、この作品は「何を表現しているのかを私たちの頭で考えさせようとしている」ものなのではないか、という考察が成り立つのです。

 

私は直感的に「鳥の糞を敷き詰めたみたいだな」と思いましたが、少し頭を働かせて、もっと違う視点でこの作品を捉えることはできないかを考えました。

私の次の答えはこうです。

現在の不確実で混沌とした状況(VUCA)のメタファーなのではないか

つまり、この作品が表現しているのは、私たちが生きている世の中そのものなのではないかということです。

 

もちろん、上記の答えが作者の意図したものかどうかはわかりませんし、この答えが正しいかはわかりません(そもそも、正しいか正しくないかという論点はほとんど意味をなしません)。

このように、ひとつの美術作品から複数の答えを考える作業は、不確実な現実において、自分なりの生き方を探す作業に似ていると思います。

この考え方を著書では「アート思考」と呼ばれています。定義を著書から引用します。

アート思考とは「自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界をとらえ、自分なりの探究をし続けること」だといえるでしょう。

 

不確実性が極めて高い現代社会においては、他から得た知識だけでなく、自分なりの見方や考え方を持つことがより重要になってくるかもしれません。

皆さんも休日は美術館に足を運び、アート思考で作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

 

[参考文献]

末永幸歩 著,佐宗邦威 解説『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』